外国人は「人材」か、「住民」か?縮小社会の地方自治が問われている
- 北海道大学
- 外国人関連行政
近年、「外国人材」という言葉を耳にする機会が増えた。人手不足が深刻化する農業、漁業、介護、建設、観光、製造業などでは、外国人なしには地域社会そのものが維持できないところさえある。だが私は、この「外国人材」という言葉に、少なからず違和感を覚える。
私たちが必要としているのは、本当に「人材」なのだろうか。
外国人は、日本の人手不足を埋めるためだけに存在する労働力ではない。仕事が終われば地域から消える存在でもない。食事をし、病院に行き、買い物をし、子どもを育て、地域の人々と出会い、ときには災害にも遭う。つまり彼らは労働者である以前に、私たちと同じ地域で生活する「住民」である。
ところが日本社会には、外国人には働いてほしいが、地域社会の一員として迎え入れることには戸惑うという奇妙な矛盾が残っている。「人手は必要だ。しかし外国人が増えるのは不安だ」という声も聞く。これは、人口減少社会に生きる私たち自身が、まだ現実を十分に受け止め切れていないことの表れではないだろうか。
在留資格や入国管理は国の制度である。しかし外国人が実際に暮らすのは自治体だ。医療、教育、子育て、防災、住宅、ごみ処理、交通、地域活動――生活のほぼすべてが地方自治とつながっている。国が外国人を「受け入れる」と決めても、地域に生活者として迎える仕組みがなければ、共生は実現しない。
にもかかわらず、外国人住民への対応を雇用企業任せにしている地域は少なくない。それでは不十分である。外国人を労働力として呼ぶ以上、自治体にも、その人が地域で安心して暮らせる環境をつくる責任がある。日本語学習や多言語相談はもちろん、医療、防災、子育て、地域活動への参加まで含め、「働く」と「暮らす」を一体として考えなければならない。
同時に、外国人を「支援される人」とだけ見る発想も改める必要がある。外国人住民もまた地域を支える主体である。地域の課題について意見を聞き、まちづくりに参加してもらう。そうして初めて「受入れ」は「共生」へと変わる。
人口減少の時代に最も危険なのは、減少そのものではない。不安の原因を外国人や他者に求め、地域社会が互いを排除し始めることである。
かつてスイスの作家マックス・フリッシュは、外国人労働者をめぐって「労働力を呼んだが、やって来たのは人間だった」と喝破した。
これから地方自治に問われるのは、「外国人を何人受け入れるか」ではない。誰を地域の仲間として認め、誰とともに地域の未来をつくるのか。縮小社会における地方自治とは、突き詰めれば、その問いに答える営みなのだと思う。